地球文明へ国家の貢献 コラム
地球国家が求める「公の父性」とは何か
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国際社会は冷戦の時代を過ぎて数十年を経過しましたが、政治的にも、経済的にも両極性による軸性を明確にできず、未だに新しい秩序と方向つけを模索しています。
15世紀頃から意図されて始まった科学技術への大転換は、宗教的な課題から脱却して一応の成功といっても良いだろうと思われます。しかし強さや便利さや効率性など物質的な価値観に、人間の判断を偏重させ、その結果は人間としての行動規範となるべき思想を見失うことになり、日本だけでなく世界の多くの国でも社会的風潮の激変が進み、親と子から家族内秩序を含めて、何でもありの風潮が当然のことのようになったのであります。
人類にとって嘗ての信仰のような悪弊を残すようになってしまった科学的判断の前提となっているものは、物質文明に押されて見失ってはいますが、あまり高度なものとは言えないかも知れません。視認できる範囲の確認をもって判断し、また方向つけをして、視認に類する実効ある成果があれば、そして今まで真理と見なされた事実から容認されさえすれば、それは真実であるという規範に留まっています。
しかし、我々の眼前に展開する社会的反応は、必ずしも科学的利便性や効率性によって恒久的な生き甲斐を紡ぎ出しているとも思えず、人間の想いが創り出すものとの関わりは直接的な理解に留まって、科学技術は人間の意識的な前進に広範な道をつけたとは言い難いように思うのであります。いわば主観的な人間の意志とか、究極する知恵とか愛のもつ集団的な結合力とかの人類意志との関わりについては、理解される風土を失ってしまっています。
このように物質万能で貪欲な経済風土の中では、人間の意識段階を向上するに相応しい基幹となる科学技術が天啓によって人類に与えられるとは思えません。今までの重要な発明や発見は(自分のささやかな経験から)その殆どが天啓によっていると思います。
このように物質的な覇権で動く国際社会に対して、時代を動かすほどの新しい基幹的発明が与えられるはずもなく、地球生命体は様々な天変地異の致命的な圧力のもとに暫くは存在することになるでしょう。地球市民が恰も一つになって助け合う地球社会を構築する以外に新しい道はないと思っていますし、そうするほかないと思います。それまでは特に公共的な凡ての面において父性的でありながら、母性的な特徴を生かす融和性を重視しつつ進化する道を保有する力となる、納得できる諸政策が凡ての国際社会に求められそうなそんな感じを示し始めています。
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